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*KU-SGU Student Staffインタビュー企画*
国際基幹教育院 准教授

渡辺 敦子 さん

KU-SGU Student Staffインタビュー企画は、国際経験が豊富な本学教職員、学生等に学生目線でインタビューを行い、インタビュー対象者の経験や考えなどを本学学生等に広く知ってもらうことを目的としています。
第二弾では、国際基幹教育院の渡辺敦子准教授にお話を伺いました。

 

―初めに、先生のご研究内容について教えてください。

私は、政治地理思想について研究しています。政治地理思想とはその名の通り、政治学、地理学、思想史の3つの学問の間に当たるものです。国家や領土などの地理にまつわる歴史的背景について考えます。私は特に領土に関心を持っています。

-具体的にはどのような研究なのでしょうか?

近年、領土における様々な変化が起こっているのをご存知ですか?例えば、以前は物を作るとき、国内で全て作りましたが、今ではいくつかの工程を国内で行い、残りの行程は国外で行うという方法に移り変わってきています。また、旅行時のビザもそうです。ひと昔前は、国外に行くときは、どんなに短期間でもビザを取得する必要があったのです。今では信じられないですよね。あとは、多国籍企業も近年ますます成長してきています。このように、国家間の境界がどんどん曖昧になってきています。なぜこのような変化が起こり、それが領土という概念にどのような変化をもたらしているのかを追求したいのです。それから、グローバル化に伴って、国際秩序も大きく変化しています。アメリカや西洋の力が強かった時代から、中国を筆頭とするアジアの国々の勢力が強い時代へとどんどん変化してきています。これに伴い、領土だけでなく、国際政治にまつわる様々な概念が変化しています。例えば、自由・平等は、領土と共に西洋発祥の考えですが、近年、これらにも変化が見られます。今後このことが国際秩序の変化にどう反映していくのか。またこのような基本的な概念の変化は、国際政治の「常識」とされてきたものの変化を意味しますが、こういった状況で、環境問題など今の人類が直面する問題がどう解決されていくのか、みんなの納得するルールを作ることはできるのか、考えるだけでとてもワクワクします。

―私たちにはあまり馴染みのない学問領域なのですが、なぜこの研究を始めたのですか?

もともとは、新聞記者をしていました。その時の職場で夫と出会いました。ある時、夫がアメリカに赴任することになりました。会社のシステム上、辞めても復職が保証されたので、新聞社を辞めて、夫についてアメリカへ渡ることを決意しました。ただ一方で、実は、当時は社内での男女の差もかなりあり、このままいても新聞記者としては、夫以上の仕事をさせてもらえることははないと思っていました。大学卒業後10年以上働いてきたこともあり、アメリカでも、子育て以外に何かしたいと思い始めたんですよね。そこで、大学院で学ぶことを決意しました。最初は、環境問題を学び、ジャーナリズムに戻るつもりでした。しかし、次第に地球規模の問題の解決には、ナショナリズムについて学ぶ必要があると思い始めました。アメリカの学びのスタイルが私にあっていたこともあり、ナショナリズムの世界にどんどんハマっていきました。ちょうどその頃、北東アジアでも尖閣諸島、竹島問題など、領土問題が顕在化していました。しかし領土問題は実は、北東アジアでは、過去からずっと外交問題の最重要課題だったわけではなく、21世紀に入ってから議論され始めた、比較的新しい問題です。しかし領土そのものは、昔からそこにありました。どうして今になって領土問題が顕著になってきたのか、という点に興味を惹かれました。結局、答えがどうしても知りたくなって、アメリカから一度帰国し、単身で英国の大学院の博士課程に留学しました。子供がいたので、英日間を度々往復しました。

―アメリカで子育てしながら大学院に行かれたのですか!アメリカのスタイルがご自身に合っていたとのことですが、アメリカの大学院は、日本とは異なりましたか?

そうですね、正直何から何まで全く違いました。まず、年齢層が大学卒業してすぐの人から、ご年配の方まで本当に様々でした。アメリカでは、キャリアアップを目的として大学院に入る人が多いんです。リカレントと言って、一度仕事を辞め、または働きながら、キャリアップのための教育を受けてから仕事に戻ることのできる制度が整っている。なので、学生といっても既に実世界を知っている。学生の多様性もさることながら、日本との一番の違いは、授業のシステムだと思います。予習に重点があり、授業はディスカッションの場です。個々の意見をとても尊重してくれるので、積極的に意見を言うことのできる環境でした。また、学生主体で授業を進めていくため、教授と学生が、教える教えられるの立場ではなく、同じ立ち位置に立ってお互いの意見をぶつけ合う、まさに格闘技のような授業でした。一緒にアイディアを作っていくんです。ただ、一回の授業の予習に、分厚い本を一冊丸々読むなど、勉強量がとても多かったです。ドロップアウトと言って、途中で大学院を辞めて行ってしまう人もたくさんいました。英語は比較的得意だったのですが、ついていくのは本当に大変でした。もはや、ついていけるかいけないかの世界じゃない、やるかやらないかという感じでした。もうやるしかなかったですね。

―すごい行動力ですね!前職のことについても伺いたいのですが、新聞記者を志したのはなぜですか?大学時代に学ばれていたことがきっかけなのでしょうか。

大学ではロシア語学科でロシア語を勉強していましたが、それは新聞記者になったこととはあまり関係ないように思います。自分で何かをしてみたくて、そのためには何かを書けるようになることが先決だと思っていました。そもそも言葉が好きで、私の強い思いとしてはとにかく文章を書きたかったんです。新聞記者はとりあえず書くことができる職業ですよね。それから、いわゆるオフィスに出勤して働くような会社員は窮屈そうなので、性に合わないと思った。職業を選ぶ際に大切なことは、どこの会社に就職するか、何になるかより、何をするかということを考えること。それを考えてみたとき、自分の場合は文章を書きたい、という思いと、決まりきった仕事をするのは嫌だ、という思いがあったので新聞記者になりました。

―記者時代に思い出に残っていることは何ですか?

色々なことがありますが、私にはずっと大切にしている言葉があります。記者になって初めてインタビューをした人にいただいた、「綺麗は汚い、汚いは綺麗」というシェイクスピアのマクベスにある言葉です。「初めてのインタビューなんです」と言うと、「これからあなたは色々な人に出会うと思うけれど、この言葉をいつでも忘れないで」と言われました。物事にはすべて二面性があって、素敵なことだけではない、裏には辛いことも隠れている、という意味だと考えています。この言葉はずっと覚えていますね。

―素敵な言葉ですね。他にも何か印象に残っている取材体験はありますか?

当時、新聞社の企画で病気の子を助けるという基金がありました。私はその基金によって助けられた女の子が、のちに元気になって暮らしている様子を取材する担当になったんです。そもそも人を助けた話の取材だから悪い話ではないと思っていました。その一環として、1970年代初めに基金によって手術を受け、成人した沖縄の女性を取材することになりました。沖縄が好きだった私は沖縄に行けることもあってわくわくしながら取材に行きました。けれど、それが一番辛い取材体験になりました。実際にその女性やその家族の話を聞いていくなかで、当時の実情が分かってきたのです。家族の方には、「確かにあの基金のおかげで娘が助けられたのは事実だが、沖縄の人間であることを強調され、あのときはとても辛かった」と告白されました。一瞬どういうことかわからなかったので聞いてみると、当時、まだ沖縄は日本に返還されていなかったため、差別も多く、自分たちの思いとは違うことを記事にされることも多かったそうです。私はそれを聞いて、自分がその時に担当していたわけでは無いのですが、新聞記者として真実を伝えるということの難しさを実感しました。

―取材は人が相手ですから、気を付けないと思いがけず人を傷付けてしまうこともあるのですね。

読んでもらうために、喜んで話を作る記者や、作らざるを得ないと思って話を作る記者がいます。しかし、記者は良い話だけを書ける訳ではないし、正義の味方でもありません。でも私はそのとき、綺麗な話だけでなく、当事者の複雑な思いもあったことをできるだけ書くようにしました。

―アメリカでの生活では、新聞記者としての経験を生かす場面はありましたか?

アメリカでは、大学院だけでなく、フリーライターとして現地の方々の日常をコラムにして書いていました。アメリカの日常を取材する中で学んだ最大のことは、人生には、その気になればいくらでも選択肢がある。失敗してもいい、ということです。先程もお話したとおり、みんなキャリアアップを目指して大学院に通っているので、仕事をしながら、あるいは仕事を辞めて来る。一方で、日本でフリーライターをやるのはとても大変なんです。日本人は所属を大切にしますから、記者である前にまず、会社員でなければならない。会社を辞めないためには、学んでいる余裕はない。でもアメリカでは”モビリティ”(社会的流動性)を大切にする文化が根付いているので、フリーでも受け入れられる。近年では、そのモビリティは著しく失われていると言われますが、少なくともその「精神」はまだ残っている。私がアメリカにいた2000年代後半は、オバマ大統領が黒人初の大統領となった頃で、まだアメリカがアメリカらしい時代だったと思います。アメリカに一緒に行った娘も、保育園でよく先生に、”It’s your choice.(あなた次第よ)”と言われていました。子供への話しかけ方にも、自主性を重んじるアメリカらしさがある。日本では定年まで勤めることが当たり前のような習慣がありますが、アメリカでは転職をすることが当たり前で、さすが移民の国だと思うことがたくさんありました。

―”モビリティ”を大切にする文化というのは、日本とだいぶ違いますね。例えば、日本ではジェンダー不平等の問題は近年よく取り上げられ、その改善が叫ばれていますが、なかなか是正されません。

日本では、学生時代や就職してすぐには男女差を感じないと思います。でも、私の場合は、結婚した途端に周りの態度が変わりました。私の夫は入社年次が1つ上で、同じ社会部で記事を書いていたので、男女差を除き同じ条件で比べることができました。すると、自分が女だからと言う理由でさせてもらえない仕事があることに気づいてしまったのです。それから、子供がいるというだけで簡単な仕事へ配属されたこともありました。子育てのために昼休みも取らずに誰よりもたくさん記事を書いた上で早く帰っていて、自分なりの最大限の努力をしていたにも関わらずです。

-それは辛い体験ですね。

私は、それは不当だと思って声を上げ、労働組合で務めていた同期の方に働きかけてもらって、その配置換えを解消してもらいました。私の前任者はやはり妊娠中で、彼女の事情もあったと思いますが、それを受け入れてしまっていたんですね。私はそのときに、社会の空気を読んで、「女性らしく」振る舞うことで理不尽な扱いを受け入れてしまったら、次の人が苦労することに気づきました。前の人が受け入れたのだから、あなたも受け入れるよね、と言う空気が生まれてしまう。それは受け入れている私たちにも問題があります。私たちは女性だからと差別される被害者のように感じることもあるかもしれませんが、不当な現実を素直に受け入れることで加害者になってしまうことがある。女性も男性も「らしさ」へのこだわりを捨ててそれぞれができることは平等に負担した方がお互いにとって良いと思いますが、そのためには勇気をもって声を上げて、新たな関係を築くことも大切です。

―これからの社会を変えるには、学生時代からジェンダーのステレオタイプなどを意識すべきですね。また、これから社会に出る学生にとっては、グローバル化も意識せざるを得ません。先生は共通教育のGS科目で「グローバル時代の国際協力」を担当されていますが、先生にとってのグローバル化とは何ですか?

授業ではいつも、グローバル化を”つながりが増加すること”(=increasing interconnectivity)と定義しています。一見つながりが増えると、全ての人やものとの距離が近づくように感じますが、つながることで逆に距離が遠くなったり、交流が進むことで疎遠になったりすることもあるんですよね。例えば、中国・日本・韓国の結びつきは、昔はもっと強かった。でも、今の時代、先ほどお話しした領土問題にも見られるように、アジアの結びつきは、経済的には強くなっているにもかかわらず、政治的にはどんどん弱くなっていると感じています。他にも、コロナ禍初期の、アジア人に対するアメリカ人からの差別は、つながりが増え、多様性を感じる機会が増えたからこそ生じたと思っています。

―今振り返って、大学生活でこれはやっておけば良かったと思うことはありますか?

もっと本をたくさん読めば良かったと思いますね。知識は自分が好んで覚えようとしたものしか覚えられません。また、私は、大学教育で一番大切なことは、問題発見能力を身につけることだと思います。「ものの見方」を学ぶことです。問題はそこにあるけれど、まずは発見されないと解決されない。問題を発見するためには、何よりも知識が必要です。

―読書はとても大切なことなんですね。休日は読書などをされて過ごすのですか?

そうですね。もちろん読書も大好きなのですが、実は他にも趣味がたくさんあります。特に、料理はよくしますね。パンでもケーキでもなんでも作ります。アメリカにいたときは、サンクスギビングのターキーなんかも自分で作っていました。あと、家には猫と柴犬がいるので、散歩をすることが日課で、一緒にくつろいだりするのも大好きです。家族は今、皆バラバラに暮らしているので、人間は私一人。彼らが言葉を喋れるようになってくれたらといつも思っています(笑)。今は研究に忙しくて暇がありませんが、スキーやトレッキングなど自然と触れ合うことや、個人競技をすることも好きですね。誰かと協力してというより、一人で黙々と作業する方が向いていると思います。

―最後に、金沢大学の学生へのメッセージをお願いします!

一番伝えたいのは、”自信を持って頑張れ”ということです。これは金大生だけでなく、日本の若者全員に伝えたいですね。みんな本当に真面目で、各自がしっかりと自分の考えや思いを持っている。でもみんな遠慮深くて、なかなかそれを他人に伝えようとしないですよね。本当は、授業とかでもどんどん発言して欲しい。意見をいうことは実は、自分のためだけでなく、人のためにもなることに気づいてください。本当にあと一歩なのに…とよく思っています。今いる安心できる世界から、殻を破って一歩飛び出してみたら、きっと何か違う世界が見えてくると思います。世界は、心をひらけば、意外にも小さく、あたたかい。自信を持ってもっと踏み出してみてください!大丈夫だから!!

 

【金沢大学研究者情報】

渡辺敦子

 

<編集後記>

藤井菜光(数物科学類1年)

先生の話を聞いて、何を始めるにも遅いということはないと思うことができました。また、留学への期待もさらに大きくなりました!

上野谷瞳(人文学類1年)

記者時代や学生時代の話を聞いて、ジェンダーのことや就職について深く考えることができました。自分から勇気を出して行動することが大切だと感じることができ、これからの大学生活で先生から聞かせていただいた話を活かしていきたいなと思いました。

城下理彩子(人間社会学域2年)

緊張していた私たちを暖かく迎え入れてくださいました。疑問に感じたことをそのままにせず、常に探求心を持って世界を見ること、そして課題に対してきちんと声を上げていくことの重要性を感じました。

※KU-SGU Student Staff:本学のスーパーグローバル大学創成支援事業(SGU)を学生目線で推進する学生団体

KU-SGU Student Staff

(2021年10月取材)

  • アメリカで、子供たちと

    アメリカで、子供たちと

  • 英国留学時代、寮の仲間たちと

    英国留学時代、寮の仲間たちと

  • インタビューの様子:左から城下、藤井、渡辺先生、上野谷<br />
※インタビューはマスク着用にて実施しました。

    インタビューの様子:左から城下、藤井、渡辺先生、上野谷
    ※インタビューはマスク着用にて実施しました。

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